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11/17 「分岐点」としての欧州危機

◇最近のボヤキ 倉都康行  

 往生際の悪さでは菅前首相といい勝負であったベルルスコーニ首相が正式に辞任した。これで債券市場はギリシア・イタリアの首相のクビを取ったことになるが、欧州危機収束への道筋はまだ描けていない。既に書いたように、実体経済が相当に悪化する可能性が高いので、各国の政策は更に手詰まりとなることも予想される。緊縮財政の中にも何か将来への種が蒔かれねばならない。それは日米にも共通する政治家への課題であるが、具体案を練る力は乏しい。
 因みに欧州危機という言葉は21世紀に特有のものではない。例えば欧州史の中では17世紀が危機の時代と呼ばれている。16世紀に大航海時代を迎えて経が急速に拡大した後、17世紀はピューリタン革命や30年戦争など混乱を極める時代となった。国家の財政悪化が茶飯事となる。その後18世紀に至って市民社会への道が開かれていく。そもそも危機を意味するクライシスは、分岐点を語源とするものだ。つまり危機とは、新たな時代に転換する為の必然的な通過点だということも出来る。

 そう考えれば、現在の欧州危機も産みの苦しみだと考えられる。それは1-2年で終わる話ではなさそうだが、少なくとも危機の後には危機以前に想定していなかった社会が現れる可能性もある。逆に20年前に転機を迎えた日本は本物の危機に直面しないまま未だにその分岐点を見いだせないでいるのかもしれない。巨額の不良債権は一つの危機であったが、本番はやはり国家財政である。分岐点を認識しない以上、新たな時代が見えて来ないのは当然のことなのだろう。それが長い金融史から見る一つの推論である。


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